aronwan77’s diary

金魚と熱帯魚の飼育、高齢者介護

ゴールデンハニードワーフグラミー、生後20日目

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※右側中央あたりにいます。愛(稚魚)は見えますか?

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いやあ、こんなに小さいんだあ。和金とプラティしか育てたことがないので、ゴールデンハニードワーフグラミーの飼育はけっこう難しいと実感する。体長10ミリもない。小さいので(カメラもアレなんで)、まともに写せない。数的には30匹くらいだろうか。あんまり小さいので餌も一苦労。PSBというバクテリアを3ミリリットル程度、1日2回与える。人口飼料のベビーフード(キョーリンヒカリパピー)を振りかけること1日5回。うちはいつも人口飼料。ブラインシュリンプとかを沸かすなんて、カッコいいことはできないんだなあ。それでも和金やプラティは結構育っているんだよねえ。

 

母の癌、膀胱全摘は無理

5/28に特養の指定医から、母の癌再発が告げられた。母は2009年に膀胱がんが発見されて以来、5回の手術をしている。膀胱がんは極めて再発が多く(5割も)、最後の手術は2014年1月だった。術後3か月の検診は、6年目からは1年毎の検診となり、その1年毎検診は2015年2月が直近だった。手術は患部をメスで焼き取るのもので5日間の入院が必要だった。医師は「取り除いても取り除いても生えてくる。その都度取るのはもう止めた方がいい。症状が出たら来てくれ」と言った。そして15か月後、症状(肉眼的血尿)が出たのだ。1年毎検診は認知症病院に入院中だったので実施できなかった。当然、どこの病院に入院していようが施設入所していようが事情は話してあったのだが。

今回の再発は悪化を意味していた。CTやMRI等の検査は高齢者にはキツイこともあり、悪性度は詳細には掴めないが、内視鏡検査でも癌の顔つきが分かる状態だと、医師は言った。治療法は膀胱全部摘出しかない。検査に比べるべくもなく、全摘出手術は高齢者には無理だ。キツイ検査を行っても、全摘手術が不可能ならば検査の意味がない。従ってキツイ検査は行わないと言うのだ。家族は悪性度を知りたいわけだが、癌そのものの進行より、尿道の閉塞で腎不全、尿毒症を起こす確率のが断然高いと言う。それに認知症患者の場合、諸事情で治療が出来ない事もある。家族がアグレッシブに手術をしてほしいと懇願したら出来ないことはないが、全摘出はリスクが高すぎる。

結論的には、詳細検査を行う意味はなく、対症療法しか選択肢はない。熱が出れば抗炎症剤を、痛みには鎮痛剤(モルヒネ)をといった具合に、患者の苦しみに都度対応するしかない。根本治療=標準治療はできない、つまり緩和療法のみということになる。やはり。

ゴールデンハニードワーフグラミーの産卵

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6/9にうちの「おじさん」がメスとようやくおっほんしたんだけど、18時頃に産卵に至った。メスがパラパラと卵を落とすのを1回だけ目撃しただけなので期待薄ではあったんだが。といっても目視はかなり難しい。小さいのだ。金魚の子引きはしたんだけど、和金の卵の1/3位の大きさかな。恐る恐るサテライトへ移し、さらに3日目の今日は30㎝水槽へ引っ越した。最初の交配、そして産卵、うちの「おじさん」は殆ど泡巣を作ることなく、メスといちゃついてばかりだった。ま、本水槽の中では今でも両親はいちゃついているんだよね(不思議)

ゴールデンハニードワーフグラミーの父親は、孵化後1週間も子供たちを見守ることがあるらしい。子供らと引き離した後、「おじさん」はかつて家(泡巣)のあった場所に、呆然と立ちつくしているのであった。あ、今でもそこにいるよ。

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ゴールデンハニードワーフグラミーの、おっほん

 

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※ここで所帯を持って、子供を育てるんだ!

オスひとりで発情していた「おじさん」のために、メスを2匹連れてきてから早2カ月。水流があるので泡巣を作るのは無理かなあと思い、ネットを水槽に入れ水草を置き、産屋もどきを作ったみた。こうすると泡巣は流れない。

産卵期、オスはせっせと子供たちのための巣作りに励む。口から泡を吹き出し稚魚卵の揺り籠を作るのだ。この泡が稚魚の住み家となる。メスが産み落とした卵をせっせと泡巣に運ぶのはオス。泡巣から卵が離れようもんなら、必死で探して口に含み泡巣の上に置く。卵目当ての魚や、メス(母親は卵を食うのだ)を蹴散らし、保護育成をするのだ。まあなんとも、普段は愚図なのにやるときはやる、ナイスガイ(死語)な父ちゃん!

ということで、そんな父ちゃんを見たくって、ネット産屋を置いたわけ。直ぐに1人小屋に入り込み、じっとこられている。そのうち、ホテイアオイの上に泡を積みだした。最初だからね、立派な泡巣とはいかないが、子育ての準備を進めだした。餌を蒔いても見向きもせずに、一心不乱に泡巣を作るのだ。3日目、自分より身体のデカいメスが接近してくる。何度も失敗するが、ようやく、写真の通り。。。でござんす。産卵はしていないみたいだけどね。

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※ようやく、メスと。

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※この夜、こういう熱い抱擁を5回は行った。産卵すれば雌雄とも気絶するらしい。

 

アンスリュームな日々

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2年前に買ったアンスリューム。4000円以上した。ということで頑張って育てていたんだけど、最近株分けしてみた。あの不思議な赤い花は一つしか咲かない。水やりも難しいんだけど、まあ3年目を迎えて自分なりに満足してます。他所さんのように一杯花を咲かせるのは無理なんでしょうかね。あれ、今日は666、オーメンの日かな。

夜のカーテン閉めずに、雰囲気を変える?

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安っぽいマンションの内装。代表的なのが天井の高さとレイアウトなのだ。うちのマンションも安物の代表的といえるレイアウトで、狭い部屋割、仕切りだらけ。マンションというより賃貸アパートの雰囲気だ。色々トライをしてもどうにもならない。

突然思いついたのが夜、カーテンを閉めない事。夜の照明の下での手狭感はけっこう貧乏くささを増幅させるのだ。掃き出し窓は1間なので、これまたどうにもならん。なので、その狭さを忘れる(笑)ために、カーテンを閉めないのだ。どうだろう、この感じ。実利的じゃないので、真夏までの話だなあ。金魚は朝、眩しいしね。

因みに、下の写真は隣室まで写したもの。やっぱ貧乏くさいね。この場合、カーテンは統一するとか、畳を沖縄風にするとか、かな。強度の問題もあるけど、お金がないのでこのまんまの間取りでゴージャスに見える方法はないものか。

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末期癌患者の入院。難しいのだそうだ

以下の理由で末期癌患者のケアは在宅が望まれという。

・治療の見込みのない末期患者は、普通の病院への入院は難しい。

・余命半年、1年では、緩和病棟には入院できない。

・余命1カ月でも、緩和病棟は満杯で簡単には入れない。

・緩和病棟入院には本人の許諾がいる。本人告知が条件だ。

・そもそも疼痛等の症状がないと緩和病棟に入院できない。

・余命、症状の予測は難しい。

・特養では、末期患者の対応が取れない。

今から段取りを組んで看護、介護を行っていかないと二進も三進もいかなくるという。在宅療養支援診療所というのがあるので、先ずこことの連携をはかる。同診療所が主治医となり緊急時の体制を確保してもらう。場合によっては病院での看取りとなる。

特養医師や職員のコメントは以上の通り。特養から自宅へ移動するタイミングがあるのだ。主治医は普通の病院の医師では対応できないらしい。治癒の見込みのない人、手術で失敗しそうな患者の担当医には、なり手がいないのだ。トリアージュでは末期癌患者は最下位になる。

 

 

 

母の癌、再発

2週間ぶりに特養に行った。母は珍しく柔和な笑顔を浮かべていた。持参した室内履きを見て「綺麗、可愛い」と小学生のように喜んだ。血尿のため病院に行ったが、その結果を今日、特養内で聞いた。担当医師は泌尿器科の専門医であったのが幸運というか、何というか。膀胱鏡検査を行うまでもなく、エコーで大きく見えるくらい癌が大きくなっていた。これが末期なのかどうなのかは、やはり精密検査が必要とのことだ。麻酔がキツイとか、もう手が付けられないという総合的な判断を行うため、いつも手術を行ってきた病院での精査が必要なのだ。特養の医師は、「半年から1年でしょう」とポツリと言った。

母の血尿

特養からの電話が朝早くから掛かって来た。

「お母さまが血尿を出されました。今から病院にお連れしてよろしいでしょうか?」

特養の職員のみで対応してくれるという事だ。母はもう8年も前から膀胱がんをかかえている。2年ほど前、つまり85歳になった時に手術は断念した。それまでは年に2回も手術を行っていたのである。切除すればそれが刺激にでもなるのか、膀胱がんは何度も再発する。当時の医師は「麻酔もきついし、このまま見守りましょう」と言った。症状が出たら対処するという考えだ。肉眼的血尿は膀胱がんの症状なのだが、その他に症状らしいものがない事が多い。

母は神経症病みなので、膀胱がんなどとは口が裂けても告げられない。死にたいと連呼する日常だが、癌だと告げると、さらに神経症状が悪くなることは火を見るよりも明らかなのだ。要は、「生き欲」が非常に強い人なのだ。両大腿骨、座骨を次々に骨折してもリハビリに精を出し治す人であり、食欲が旺盛な人なのだ。身体的強靭さは心気症のベースでもあるのか。ここら辺の脳の機序がよく分からん。

ゴールデンハニードワーフグラミーが4匹になった

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※黄色いのがGHDです。左がメス、右がオスです、多分。

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※この方は先住のおじさんです。

ゴールデンハニードワーフグラミー(通称GHD)を家人が買ってきた。先住のGHDはオスで繁殖相手がいなくても始終発情色を呈していたので、ま、そろそろ連れ合いを連れて来たというのが家人の購入動機。先住のオス(おじさん)より一回り大きいメス2匹、そして「おじさん」と似たような体形のオス1匹、合計4匹のGHDが水槽に合流したのは4/12の事。それから40日経過して、4匹は堂々と水槽に住みだした。「おじさん」1匹の時は、いっつも洞窟オーナメントに隠れていて臆病そのものだったのだが、今は4匹とも水槽の全面に出てプラティの幼魚らと餌を取り合っている。通常、GHDはやはり臆病な方で、せせこましいプラティと同居すると餌が食い付けず中には餓死する者もいるとか。GHDは熱帯魚界では頭脳が良く綺麗という優等生なのだが、いかんせん愚図だ。

「おじさん」と同様、オスはやはり奥手で土管に隠れてひょっこり顔を出すのが関の山だったが、何せメス2匹が強かった。彼女らは最初っからプラティらと乱舞していたのだ。ちなみに、彼らの名前は「おじさん」と「おっさん」、メスはまとめて「おばさん」である。

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特養の面会から逃げた。5/14の事

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プラティの親魚、アザレンカが亡くなってから1週間が経った。かなりの悲壮感が残るだろうと覚悟していたが、案外しょげることもなくこの成り行きにどこかで納得している。5/14、この日は亡父の命日であったが、特養の面会の日でもあった。暗い気持ちを持ちながら帰宅してアザレンカの遺体に対峙し、当座、母の私への「憎悪」は心の奥に一時収納した。

5/7の面会時には安定していた精神状態が、この日は頗る荒立っていた。認知症の健忘は全てを覆いつくすものではないというが、私への対応は継続的に、いや短絡的継続の様子を呈している。「また、あんたは私を騙す。こんな酷い所から早く連れ出せ。死んでやる」を連呼していた。母の目は憎悪に満ちていた。私は早々に退散した。帰り道、こんな日もあるんだと自分を慰めた。マラソン道に佇んで、荒川土手の強い風に揺れる紫ツメクサを見つめていた。こちらもあちらと同じように感情が揺れてはいけない。土手沿いの花のように全てを受け入れて雨風に身を委ねなくてはいけない。歩を止めても、心は船酔いのように震えている。そして帰宅後、アザレンカの遺体を見てしまったのだ。

今日5/21には面会に行こうと決めていたが、勇気がなくて実弟に依頼してしまった。母の為に買った室内履きは包装紙に包まったまま、部屋の隅に置いた。仕事もしていない暇な私が、とうとう本当に逃げてしまった。母の「あんたは、いつも逃げる」というセリフ通り。紫ツメクサの強かさが、レッドプラティの産褥死が、そんな馬鹿な私に一層鮮烈に映った。紫、赤、深い暖色の渦が、あれから数日間は心の裏で静かに渦巻いていた。

外の和金、ちょっと大きくなったような

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拡大してみると、ほぼオス。オスの徴である追星(白い点々)が出ている。この5匹には、しかしメスは確実にいるのだが、恐らく1匹じゃなかろうか。屋内水槽でさんざっぱら産卵した組にメスが1匹いて、もう一方の水槽は産卵がなかったからだ。22-25cm位だろう。彼らの子が屋内に2匹いるのだが、まだ10㎝に満たないキョウダイだ。秋には合流させるかも。

プラティ、アザレンカが逝く

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※石の混じった糞を出してから一気に体調を崩した。

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※子供たちに囲まれて…

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5/6に脱腸(脱肛)らしき出来物ができ隔離し、その後息子に患部を突かれサテライトに再隔離していたのだが、本日5/14、★になってしまった。今日は恐らく5回目の出産予定日だったので、サテライトへの隔離は規定コースだったのだが、いつもと違って暴れることなく静かに産室に佇んでいた。餌は殆ど食べなかった。今夜は出産かと思いながら私は母のいる特養に朝から出掛けていて、午後2時に帰宅後、その遺体を確認した。

以前から逆立ちになることが多かったが、その遺体も突き刺さるように逆立ちしていた。遺体に触ると硬い。ややもすると生き返るような鮮やかな発色。きっとさっき亡くなったのだろう。私の手の届かない時間の中で、アザレンカはこの世に別れを告げたのだ。立派な死に様だった。今日は、朝気付いたことだが、私の父の命日だった。偶然とは思えない。

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※大往生というべきか。1年位では早死にだよ。

 

アザレンカは生涯忘れられない魚となった。

過去の記事を書いたのは3/31の事。それから1カ月半後に旅立った。

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今は何も考えられない。さよなら、アザレンカ。

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※体長6㎝。2015/10/11、浅草のショップで購入した時は3㎝だった。

プラティ、アザレンカのその後

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※サテライトで隔離中のジョコビッチ。見守る母のアザレンカ。

昨日は「もう駄目かもしれない」と落ち込んでいたのだが、実はあの後、アザレンカの息子(最初の子で1人っ子)ジョコビッチがひと騒動を起こした。もともとジョコは気性が荒いというか、キョウダイや母親の肛門を突き糞を食べる癖があった。脱肛?を抱えたままアザレンカは5日間の絶食後、本水槽に戻していた。最期は自宅(本水槽)で過ごさせたくて戻したのだ。脱肛をメスで切る勇気も知恵もない私は、弱気でいた。そんな時、暴れん坊のジョコがアザレンカの肛門に突入。な、なんと赤く腫れた部分を齧り取ってしまった。アザレンカの肛門は血が滲じみ暫く底の方で蹲っていたが、ややあってスクスク泳ぎ出した。餌も突きだした。災い転じて福となす。ジョコが母の脱肛を治したのだ。そして今日、アザレンカはツンと澄まして水槽のリーダーの姿を取り戻していた。しかしだ、ジョコの暴れ方が過ぎるので、サテライトに隔離した。そろそろアザレンカが使う予定の産室は、今は長男の説教部屋となっている。

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