aronwan77’s diary

金魚と熱帯魚の飼育、高齢者介護

女友再会。そしてプラティ、アザレンカの変調

f:id:aronwan77:20160510012414j:plain

 十数年ぶりに女友達と会った。それぞれ相応に歳を取って、それぞれの悩みを喋ってあっという間に4時間過ぎた。本当に昔と何にも変わらない。変わらないというのは良い事なのか悪い事なのか分からないが、人間の素地というものは経年劣化しないということだ。ただ表面的なもの(皮膚とか身体つき)は当然変わっているので、やはり妙な感覚に陥る。ひょっとして80歳になっても、私の性質はこんなもんなのかと。

帰り際、雨が降り出してきた。地元に着いた頃にはすっかり濡れ鼠。誰も歩いていない長い連休明けの、月曜日の東京スカイツリーソラマチ界隈を久しぶりに歩く。こういう時期の雨の日のソラマチも、まあいいもんだ。多分旧友と会った嬉しさから心が晴れていたからだろう。雨の街の運河に佇むと、ここは押上ではなく羽田空港に思えてくる。雨の日の空港は、なぜかグッとくる詩情があるのだ。

帰宅するとイの一番に覗く込んだ水槽。プラティ稚魚水槽が暗く淀んでいる。稚魚が8匹★になっていた。私の居ない時にこんなにも多く亡くなってしまったんだね。水替えを怠ったのか、餌変えが悪かったのか、後悔は尽きない。早速、60㎝水槽に残った稚魚全てを移住させる。水が足りない、砂利もない、水草も少ししかない。などと文句をこねていたら、この水槽に4日前から隔離していたアザレンカの様子もおかしい。肛門あたりが赤く腫れている。これは産仔かと思ったが、どうも違う。いわゆる脱腸か、それとも胎児が詰まっている? 何時間経っても改善しない。これはもう駄目かもしれないと目を閉じた。あとはアザレンカの明朝を願うばかりだ。もし早めの出産に難産しているのなら、それはそれで心配だ。これまで200匹以上を産んできた老女。今回の出産は死を賭しての戦いかもしれない。私はアザレンカのいる部屋のドアをそっと閉めた。

f:id:aronwan77:20160510012236j:plain

 

祝!和金兄弟の誕生1周年

和金の一郎、二郎兄弟の誕生1周年!と言ってもオスかどうかは不明だが、この子らは昨年の5/9に自宅で卵から孵った最初の和金だ。最初の子引きということで、まあ神経を使った。水槽内でツンツン跳ねている子をスポイトで掬ったのである。十数匹捕獲したが、訳も分からず自己流で、小さなガラスボールに入れて様子をみた。3日後から1日5回ほどベビーフードを与え、ボールのゴミを吸引する毎日。1週間位で半分に減った。2週間もするとたったの2匹しか残らなかった。その後、次に産まれた子らと同居させたりしたが、最初の彼ら以外は死亡率がぐっと減り、60㎝水槽は保育園状態となった。家で産まれ(産湯は金町上水の水)、沢山のキョウダイたちとワイワイしながら育った稚魚は、直ぐに懐いたもんだ。40数匹の稚魚は餌の時間以外にも、私が近づくと一斉にラインダンス、餌クレダンスをする。

その後、里子に出したが、一郎・二郎だけは手元に残した。里親さんは「こんなに懐く稚魚は珍しい。きっと幸せだったんだよね」と涙ちょちょ切れる別れの言葉を残し、大勢の稚魚を連れ去った。子らの歌声の賑わいがもう聞こえない。キャッキャと騒ぎ群れる歓声も聞こえない。そんな空虚な気持ちの中で一郎・二郎は私の心の支えになったものさ。水面に指を入れれば吸い付いてくる。餌の時は飛び跳ねる。和金の子は元気があって、やはり可愛い。写真は彼らの成長グラフィティだ。

http://muzmi.jimdo.com/

f:id:aronwan77:20160506014441j:plain

※そもそもが、一郎・二郎の親達がこいつらです。よーく見ると左の2匹に繁殖期の雄の印である追星(白い点々)が見える。ということは右端の一番大きな子が御母堂様だね。御親族はベランダの舟で更に大きくなってご健在だ。

f:id:aronwan77:20160506014840j:plain

※卵から孵化して1週間位かな。

f:id:aronwan77:20160506014907j:plain

※20㎜位あんのかな。魚体形になるのは3週間も経たないとね。

f:id:aronwan77:20160506014940j:plain

※いっちょまえだけど、これから退色が始まる。

f:id:aronwan77:20160506015006j:plain

※一郎・二郎を隔離して小さな水槽で育てた時期。枕元に置いていたっけ。

f:id:aronwan77:20160506015038j:plain

※混泳させた。上の方で泳いでいるのが兄弟。トラ禿という黒身があるのが一郎。二郎の方が今でも若干大きいし退色も早かった。

f:id:aronwan77:20160506020147j:plain

※左端の和金が一郎・二郎。兄弟なんだから、まあよく似ているよ。因みに真ん中が黒松で、右端がタンスケ(2016/5/5現在)

具無しカレーとご飯大盛

いかに私がご飯が好きで大食いだということは、以前書いた。この連休、家人がどでんと居座っているので炊飯が出来ない。家人はご飯が嫌いなほうである。毎日、麺類とかピザとかで腹が出来るが、ご飯レスなのでイマイチ居座りが悪い。今日は炊飯しようと思うが、明日は土曜日。なので炊けない。二人家族なので、一人だけご飯を食べるのはバランスが悪いからだ。

そういえば、昨日の昼は近所のカレー店に行った。偏食の極みの私は、どのカレーもまともに完食できない。なので一番安いチキンカレーを頼む。チキン肉が3切れルーに浮かんでいるのだが、いつも家人が食べてくれる。このカレー店のカレーには肉以外に具が見えない。ご飯は2杯位あって、そこに具無しのカレールーだけをかける。キャベツをしこたま食べて、ラッキョと福神漬というオールドスターが副菜。なんとシンプルなカレーだろう。ということで、ご飯をしこたま食べれてラッキーだとは思うが、何か物足りない。そういえば、味噌汁かけご飯やお茶漬け(糠漬けか昆布漬物)が好物な私だから、こんなもんだろう。そして、いつも何か物足りないんだよね。栄養源は、夜食の明太子くらいかな。明太子はビタミン豊富でカロリーが低いが、如何せん塩分が強い。塩を肴にビールを飲むのもやはり、何か物足りない。どんなものが私を満たしてくれるのかな。かなり年齢を重ねてきているが、いまだに見出せないんだよね。

青文魚のセイブン

f:id:aronwan77:20160504010813j:plain

http://muzmi.jimdo.com/

青文魚と書いて、そのまんまセイブンギョと読む。うちにいる子は、そのまんまセイブンと呼んでいる。同居のオランダ獅子頭のオカチとは、はっきり言って仲が悪い。餌やりの後にオカチはセイブンを追い回す。エラや肛門からの餌の匂いを追っているんだと思われるけど、オカチは可愛い顔して随分と下品な子だ。そのせいか、セイブンは出来るだけオカチと離れているようだ。寝る時はそれぞれ60㎝水槽の両端にいて、顔は隅っこに埋めている。

写真は、俄かに、オカチがセイブンに寄り付いた時のセイブンの表情だ。そんなに嫌わなくてもいいのにねえ。この両者は、江戸川の養魚場で購入した同士なのにね。

特養入居、その後

5/1、母の特養入所日は修羅場とまでは行かなかったが、帰り際には薄々勘付かれ、私はトイレに行く振りをして施設から消えた。その後は大変だったそうで、私のことを母は「またあの子は逃げた」と憤慨していたそうな。逃げた。そう、母は本能で私の言動の曖昧さを分かっているのだ。施設を最新式の病院と偽り、職員の衣服が白衣でないことを特別なシステムとも嘘説明し、母の勘違いを誘った。母は入院には拒否することはあまりない。むしろ、四六時中の痛みの解消のためと言えば何軒でも病院には行くのだ。医療行為は総じて好きなのである。これは心気症の特徴だ。

しかし、これまた本能で察知したんだろう。ここは病院なんかじゃない。施設だ。こうなると、また私は大嘘つきのロクデナシとなる。施設の部屋に飾ってしまった猫と犬の置物が、母の本能をくすぐったらしい。「なんで、ここにこれがあるの? あんた達は私を騙したんだな!」と来たらしい。翌朝訪れた兄からの報告では、いたって平安だったそうな。ま、これだったら、ひとまず安心なんだけどね。昨日はよく眠った。風邪もようやく治りそうな按配だし。

特養の入所日

5/1。とうとう、母が特養に入所する日になった。母は、4/27に老健を出て今まで家に居た。その間、面倒なことが、やはり立て続いた。で、母はこう言う。「お願いだから、私をここに住まわせて下さい。後生です。忘れっぽくなって眩暈もして、自分がどうなるか怖くて仕方ない。このまま家にいたら、なんか立ち直るような気がする。お願いだから。ここに置かせて」

母はまだら呆けの状態なのだが、7年程前から認知症の中核症状は一進一退。老健の職員は、ここまで健忘に対して恐れや不安をもつ人は見たことがない、と言う。認知症初期ではありうるのだが、母の場合は数年もこんな感じだ。精神疾患の方が強いとき、認知症状が勝っているとき、それらを見分けることは至難だそうで、投薬はもっと難しい。母の場合、精神疾患が基本で、認知症が加わったのだ。

認知症だけなら、いや認知症なら、何とか諦めもつく。こんな悲しい気持ちに子供はならないですむと、下らない理屈をこねまわす自分。3年前に精神科病院に入院させた時の壮絶な母の抵抗、嗚咽が脳裏をかすめる。家人も実弟も、皆目を赤くした。その時以来、もう嫌なのだ。強烈な嗚咽は人の理性を粉砕する。罪悪感はみるみる積みあがる。入院させた後、私は鬱症状に陥った。

こんな問答の繰り返しの中で、とうとう特養入所の日となった。5/1の未明。あと半日でここを出る。その間、そして移動する車の中、施設の玄関を開ける時、部屋に衣服を降ろす時、私はどんな顔をすればいいのか。母に何と言えばいいのか。母の一生のお願いは聞き入れられない。私の生活を優先したい。あなたがいると心底疲れるのだ。こう言えばいいのか。こう言えば、ああ言えばと煩悶しながら、きっと身体だけは動くのだ。車の軋みを身体に受け、しょうがないんだ、しょうがないんだと、きっと言い聞かせるのだ。これが人生か。

ホワイトテトラの死

f:id:aronwan77:20160429163647j:plain

※在りし日のホワイトテトラ。愛称は目玉。

色々あるんだけど、昨日から今日、ゴールデンウィークの入り口でそわそわする時間の中で、私の熱帯魚は息を引き取った。魚の死ぬ風景は、それは凄いものがある。だいたいがあっさりと死なない。必死でエラを動かし、最後は頻繁な呼吸。3日も横たわりながら、こういう必死な死との攻防を繰り広げた魚は数匹いた。

亡くなった熱帯魚は、ホワイトテトラ、だと思う。図鑑を見てもよくわからないが、白いだけの身体に青い線。4センチ近い体長なのでとっくに成熟期だった。去年の10月にもらって、すぐにポップアイになった。この手の魚でポップアイになったら、助からないと言われるが、こいつはそれを乗り越え、赤い目をバチバチさせながら果敢に餌に食いついていた。他のテトラとはどこか、ガッツが違った。でもまたもや再燃。目を腫らしながら、最後は水中近くまで縦にゆらゆら泳ぐ。浮きが損壊したのか、横たわる。餌まで辿り着かない。お椀に隔離して、後は死を待った。弱った魚は仲間が食いつくのだ。

正確には昨日の23時30分頃、息を引き取った。春の培養土に包んであげよう。3日ももがかなくてよかったね。でも半日は凄く辛かったね。苦しんだね。でも、静かに星になろう。頑張った。

http://muzmi.jimdo.com/

f:id:aronwan77:20160428234018j:plain

生後70日目のプラティ-、まだ幼魚

f:id:aronwan77:20160427004758j:plain

http://muzmi.jimdo.com/

アザレンカ母さんが2回目に産んだ子は生誕70日目で、大きい子で30㎜位かな。4回目の出産の子は3匹いるんだけど、隠れているようで、いないね。小さいのはひたすらに隠れる習性だ。

右端の大きい子が1回目の子(名はジョコビッチ)で、今日で96日目。こいつはもう成魚だな。でもアザレンカには大きさも貫禄も及ばないね、おぼこいおぼこい。母親を追い越して大きな魚になっとくれ。母親の様に70匹も出産するような肝っ玉母さんになっとくれ。多分、ジョコビッチは女の子だと思うんだよねえ。なんでかって? いや、アザレンカもそろそろ寿命だし、ま、跡を継いでほしいんだよな。女の子だったら、改名しないとね。ジョ子ちゃんとかにね。

長引く風邪

4/20の記事で風邪でダウンと書いたのだが、この時点で罹患して6日目。そして今日もまだ風邪真っ最中である。なに?罹患して12日目?これって結核じゃないの? 明日から数日母が帰宅するのに、どうすればいいのか。きっと睡眠不足になり、風邪は悪化するだろう。ヘルパーを依頼して乗り切るしかないけど、ヘルパーの稼働時間は1日合計90分だけ。5/1にはようやく特養入居なのに。とほほ。

特養の見学と契約

今日は、かねてから入居が決まっていた特養を見学した。この特養は5/1に開所するので、今まで事務手続きのみで見学したくても出来なかった。当方、特養は初めてである。同区内ではあるが、バスで30分はかかる。母は4/27に老健を退所。その後、自宅で数日過ごし特養に入ることになる。自宅から出る時はひと騒動起こしそうだ。出来るだけ身内を動員して大挙して入所させる作戦を取るつもりだ。

新築だし、ユニット個室型だからスペースが広い。公費がかなり注がれているわけだから、これは贅沢過ぎると叩かれても仕方ない施設だ。東京23区の特養は、待機者が数年待ちという状況だが、この施設は定員割れしているようだ。何故か。高額だからだ。法改正で資産1000万円以上を持っていると利用者の負担がかなり増えることになった。費用減額をされていた利用者も資産計上等で軽減がなくなり、利用費が一気に月6万円も上がった等といった例もある。要は、施設も利用者も今はドタバタしているわけで、中でも高額なユニットは避けられがちだ。うちの母は資産的にはツンツルテンなので、減額対象の低所得者に入り、なんとか入居できる資格を得たわけだ。生活保護受給者等の低所得者ほど福祉の受益度が高いのである。

風邪でダウン

老健からの帰り道、背中がぞくぞくっとしてから、かれこれ6日。まだ風邪が治らない。4/18に母が帰って来て眠れなかったことが災いして、その日から寝込むことになった。昨日、今日と水槽の手入れをすると、吐き気と消耗感で満足に掃除ができない。こっちがダウンしそうでも金魚熱帯魚の命には代えられないの一心で、なんとか乗り切ったという感じだ。無理して起きなくてもいいんだけど、廃用症候群になってしまうような状態なんで、なんとか1日1仕事をこなす。その後はうずくまるという哀れさ。食欲もなく、そして頭は益々働かない。

母と医師の薬物依存

老健から一時帰宅した母は、家で久しぶりに泊まることになった。去年の7/13以来の自宅宿泊となる。前々日から私はナーバスだった。面倒なことに風邪気味だったし。薬をガンガン飲んで待機していた。雨という予報だったので介護タクシーを依頼。私の寝室の和室に急きょソファベッドを運び寝具をまとめ、簡易トイレをセットした。夕食を終え、薬を飲ませ、床に就かせた。やはり、「薬を頂戴」と何度も懇願する。在宅時代から、いやそのずっと前から、母は薬物依存かと思うような薬の飲み方をする。独居時代は何度もオーバードーズをやらかしたこともあった。

薬はかなりカットした。精神科病院で半年入院したのは恐らく薬物過剰が主な原因だ。過沈静を起こしてしまう程処方しても訪問医は薬をカットすることができない、というのが口癖だったのだ。医者もそうなら患者も薬依存だったわけだ。

現状、日中は漢方の抗不安薬睡眠薬は1錠のみとなっていた。四六時中痛みを訴える症状は変わらないが、ビタミン剤でやり過ごす。在宅当時は3種類のビタミン剤等を騙しながら服用させていた。これはキツイ鎮痛剤、これは不安が消える薬というように、それこそ2時間置きに飲ませた。勿論処方薬もたんまり出ていたが、それだけでは治まらなくなっていたのだ。

そして薬物依存は未だに健在なのだ。痛い痛いと絶叫した後、11時にはすんなり眠った。なんとスヤスヤと朝の7時まで寝ていたのだ。その間、私は一睡もできず、かねてからの風邪が悪化。朝、私はゾンビのような状態になっていた。急きょ、家人に仕事を休んでもらうという暴挙に出ざるを得なかった。手配していたヘルパーに洗浄等を行ってもらい、少しは寝ようかと思ったが、無理。そうこうしていると母は狂人の如く、絶対帰らないと喚く。死ぬだの放火するだの叫び、私が仮病だと罵る。もう私の意識も混濁していたので話すことも儘ならず、1週間後には老健を退所することを約束させられた。母の行動は一見狂人のようだが、いつもこうやって自分のやりたい方向へ他人を追い込んでいく。もうくたくたで、どうでもよくなった。まんまと引っかかったのだ。母は老健へ戻る車の中で、「くそ忌々しい、仮病使って私を騙しやがって」と息巻いていたそうだ。

プラティ、4回目の出産

f:id:aronwan77:20160416155457j:plain

本日未明、プラティのアザレンカが4回目と思われる出産をした。4-50匹いるだろか。1年魚と言われるプラティなので、アザレンカはもうそろそろ寿命だ。老女が出産したことになる。つわりはあまり酷くなかったが、その代わりずっと逆立ちをしていた。産んだ後は、やや身体が萎びれた感じで、衰弱したようである。もう既にオスは追い出していたのだが、複中の卵が孵ったのだ。あと1回は出産するかもだが、彼女の身体が心配だ。でも、見守るしかないな。

http://muzmi.jimdo.com/

琉金黒松の退色

f:id:aronwan77:20160412223553j:plain

http://muzmi.jimdo.com/

この写真は、プロフィールアイコンの琉金。黒松。2015年11月3日 撮影したものだ。退色中だったので、いわゆるトラ禿だった。約5カ月後、彼は変わったのだ。現在の黒松は、これ↓ 赤松となった。

f:id:aronwan77:20160412225525j:plain

 

トラ禿とは

色変わりが始まる頃に、黒仔の黒さが濃くなり、徐々に色が仕上がり始める状態で、トラ模様のよう見えることからトラ禿と言われる。魚は、針仔→青仔→黒仔→虎ハゲ→当歳、と成長する。青仔のフナ色が黒ずんで、腹の方から徐々に褪色していき、この虎ハゲ状態を過ぎると、その魚が持つ色や柄が現れてきます。

黒松はよく食べるし、病気もしたことがない。毎夜、こんなもんをぶら下げている。

f:id:aronwan77:20160412231121j:plain