aronwan77’s diary

金魚と熱帯魚の飼育、高齢者介護

一年魚のプラティ わが友アザレンカ

アザレンカがうちに来たのは。2015年10月10日だったと思う。浅草のショップで買ったのだ。本当に赤い子だった。2cmの幼魚サイズだった。金魚しか飼っていなかったので、いきなりピンポンパール水槽に同居させたが、彼女の3倍もあるピンポンパールを追い回し突きまくった。これでは駄目だとお椀に入れて水槽に浮かべ隔離した。激しく動き回る彼女。数時間後に覗くと、その姿はなかった。なんとお椀からは10cm以上もある水面までジャンプし、1メートル以上下の床に飛び出していた。そのことに気づいたのは、私が彼女を踏んだ時なのであった。私は床に飛び出した彼女を踏んだのである。ゼリーを踏んだような感触だった。こりゃ、ダメだ、死んだわ。と彼女を掌にのせた瞬間、飛び跳ねたのである。その後、アザレンカを水槽内に戻した。痛手を負ったものの、普通に泳いでいる。というか、私に向かって目を反らさず泳いでくる。向かってくる、挑戦的な目。そんな時に新水槽立ち上げのタイミングとなった。

60㎝水槽を新しく立ち上げるためには色々と面倒である。古い水槽のフィルター付属物や水そのものも必要だ。新水槽は1週間近く空気を入れて攪拌するが、生体のいない水槽なので生体由来のバクテリアは育たない。そういう時にパイロットフィッシュという特攻隊を投入する。新しい環境に突入する生体のことを言う。当然決死である。普通どうでもいい安価な魚を投入する。しかしうちは安価な魚ばかりで、しかもどうでもいい子なんていないのだ。感情にまかせて、挑戦的なアザレンカを選んでしまった。酷いことではあるが、彼女の気性の強さ、生命力に期待したのである。アザレンカは新水槽でも新しい水でも、ゆうに一週間も、ひとり泳ぎ切った。孤独で苦しい戦いかもしれなかった。

彼女はめげない。敵は攻撃するし、苦境には挑む。そういう子だった。そんな子が、銀座で購入してきたオスに出会ったのは12月初旬の事。年末には水槽で興奮しだし、稚魚を産み落としていた。気付いた頃には稚魚を出産。3匹ほどしか確認できなかったが、ようよう1匹を保護した。この子は後にジョコビッチと命名された。その後、2/18と3/19に出産し、約120匹の子を産み落とした。稚魚の殆どは里子に出したが、残った17匹と、彼女は今、老後を送っている。今の水槽には古株のカージナルテトラやゴールデンハニードグラミーといった大人しい連中ばかり。彼女の子は17匹。5㎜から20㎜までの子供達が彼女の周りを堂々と泳いでいる。いずれも彼女同様、プクッとしたお腹だ。そして赤い。ミッキーマウスの模様もそろそろ目立ってきた。アザレンカは残された子供達に囲まれて、健やかに、優しく泳ぐ。あの気性の激しかった往時は、子らを見る視線の鋭さに僅かに感じられるだけだ。このまま、一年魚と言われるプラティの一生を静かに見届けたい。

できれば、2年、3年と私の前で生きてておくれ。もう子供は産まなくていいようにしたから。どうか、もう少し、生きてておくれ。あんたは最高の魚だ。いや、女友だよね。

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