aronwan77’s diary

金魚と熱帯魚の飼育、高齢者介護

特養の入所日

5/1。とうとう、母が特養に入所する日になった。母は、4/27に老健を出て今まで家に居た。その間、面倒なことが、やはり立て続いた。で、母はこう言う。「お願いだから、私をここに住まわせて下さい。後生です。忘れっぽくなって眩暈もして、自分がどうなるか怖くて仕方ない。このまま家にいたら、なんか立ち直るような気がする。お願いだから。ここに置かせて」

母はまだら呆けの状態なのだが、7年程前から認知症の中核症状は一進一退。老健の職員は、ここまで健忘に対して恐れや不安をもつ人は見たことがない、と言う。認知症初期ではありうるのだが、母の場合は数年もこんな感じだ。精神疾患の方が強いとき、認知症状が勝っているとき、それらを見分けることは至難だそうで、投薬はもっと難しい。母の場合、精神疾患が基本で、認知症が加わったのだ。

認知症だけなら、いや認知症なら、何とか諦めもつく。こんな悲しい気持ちに子供はならないですむと、下らない理屈をこねまわす自分。3年前に精神科病院に入院させた時の壮絶な母の抵抗、嗚咽が脳裏をかすめる。家人も実弟も、皆目を赤くした。その時以来、もう嫌なのだ。強烈な嗚咽は人の理性を粉砕する。罪悪感はみるみる積みあがる。入院させた後、私は鬱症状に陥った。

こんな問答の繰り返しの中で、とうとう特養入所の日となった。5/1の未明。あと半日でここを出る。その間、そして移動する車の中、施設の玄関を開ける時、部屋に衣服を降ろす時、私はどんな顔をすればいいのか。母に何と言えばいいのか。母の一生のお願いは聞き入れられない。私の生活を優先したい。あなたがいると心底疲れるのだ。こう言えばいいのか。こう言えば、ああ言えばと煩悶しながら、きっと身体だけは動くのだ。車の軋みを身体に受け、しょうがないんだ、しょうがないんだと、きっと言い聞かせるのだ。これが人生か。