aronwan77’s diary

金魚と熱帯魚の飼育、高齢者介護

ゴールデンハニードワーフグラミーの、おっほん

 

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※ここで所帯を持って、子供を育てるんだ!

オスひとりで発情していた「おじさん」のために、メスを2匹連れてきてから早2カ月。水流があるので泡巣を作るのは無理かなあと思い、ネットを水槽に入れ水草を置き、産屋もどきを作ったみた。こうすると泡巣は流れない。

産卵期、オスはせっせと子供たちのための巣作りに励む。口から泡を吹き出し稚魚卵の揺り籠を作るのだ。この泡が稚魚の住み家となる。メスが産み落とした卵をせっせと泡巣に運ぶのはオス。泡巣から卵が離れようもんなら、必死で探して口に含み泡巣の上に置く。卵目当ての魚や、メス(母親は卵を食うのだ)を蹴散らし、保護育成をするのだ。まあなんとも、普段は愚図なのにやるときはやる、ナイスガイ(死語)な父ちゃん!

ということで、そんな父ちゃんを見たくって、ネット産屋を置いたわけ。直ぐに1人小屋に入り込み、じっとこられている。そのうち、ホテイアオイの上に泡を積みだした。最初だからね、立派な泡巣とはいかないが、子育ての準備を進めだした。餌を蒔いても見向きもせずに、一心不乱に泡巣を作るのだ。3日目、自分より身体のデカいメスが接近してくる。何度も失敗するが、ようやく、写真の通り。。。でござんす。産卵はしていないみたいだけどね。

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※ようやく、メスと。

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※この夜、こういう熱い抱擁を5回は行った。産卵すれば雌雄とも気絶するらしい。

 

アンスリュームな日々

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2年前に買ったアンスリューム。4000円以上した。ということで頑張って育てていたんだけど、最近株分けしてみた。あの不思議な赤い花は一つしか咲かない。水やりも難しいんだけど、まあ3年目を迎えて自分なりに満足してます。他所さんのように一杯花を咲かせるのは無理なんでしょうかね。あれ、今日は666、オーメンの日かな。

夜のカーテン閉めずに、雰囲気を変える?

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安っぽいマンションの内装。代表的なのが天井の高さとレイアウトなのだ。うちのマンションも安物の代表的といえるレイアウトで、狭い部屋割、仕切りだらけ。マンションというより賃貸アパートの雰囲気だ。色々トライをしてもどうにもならない。

突然思いついたのが夜、カーテンを閉めない事。夜の照明の下での手狭感はけっこう貧乏くささを増幅させるのだ。掃き出し窓は1間なので、これまたどうにもならん。なので、その狭さを忘れる(笑)ために、カーテンを閉めないのだ。どうだろう、この感じ。実利的じゃないので、真夏までの話だなあ。金魚は朝、眩しいしね。

因みに、下の写真は隣室まで写したもの。やっぱ貧乏くさいね。この場合、カーテンは統一するとか、畳を沖縄風にするとか、かな。強度の問題もあるけど、お金がないのでこのまんまの間取りでゴージャスに見える方法はないものか。

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末期癌患者の入院。難しいのだそうだ

以下の理由で末期癌患者のケアは在宅が望まれという。

・治療の見込みのない末期患者は、普通の病院への入院は難しい。

・余命半年、1年では、緩和病棟には入院できない。

・余命1カ月でも、緩和病棟は満杯で簡単には入れない。

・緩和病棟入院には本人の許諾がいる。本人告知が条件だ。

・そもそも疼痛等の症状がないと緩和病棟に入院できない。

・余命、症状の予測は難しい。

・特養では、末期患者の対応が取れない。

今から段取りを組んで看護、介護を行っていかないと二進も三進もいかなくるという。在宅療養支援診療所というのがあるので、先ずこことの連携をはかる。同診療所が主治医となり緊急時の体制を確保してもらう。場合によっては病院での看取りとなる。

特養医師や職員のコメントは以上の通り。特養から自宅へ移動するタイミングがあるのだ。主治医は普通の病院の医師では対応できないらしい。治癒の見込みのない人、手術で失敗しそうな患者の担当医には、なり手がいないのだ。トリアージュでは末期癌患者は最下位になる。

 

 

 

母の癌、再発

2週間ぶりに特養に行った。母は珍しく柔和な笑顔を浮かべていた。持参した室内履きを見て「綺麗、可愛い」と小学生のように喜んだ。血尿のため病院に行ったが、その結果を今日、特養内で聞いた。担当医師は泌尿器科の専門医であったのが幸運というか、何というか。膀胱鏡検査を行うまでもなく、エコーで大きく見えるくらい癌が大きくなっていた。これが末期なのかどうなのかは、やはり精密検査が必要とのことだ。麻酔がキツイとか、もう手が付けられないという総合的な判断を行うため、いつも手術を行ってきた病院での精査が必要なのだ。特養の医師は、「半年から1年でしょう」とポツリと言った。

母の血尿

特養からの電話が朝早くから掛かって来た。

「お母さまが血尿を出されました。今から病院にお連れしてよろしいでしょうか?」

特養の職員のみで対応してくれるという事だ。母はもう8年も前から膀胱がんをかかえている。2年ほど前、つまり85歳になった時に手術は断念した。それまでは年に2回も手術を行っていたのである。切除すればそれが刺激にでもなるのか、膀胱がんは何度も再発する。当時の医師は「麻酔もきついし、このまま見守りましょう」と言った。症状が出たら対処するという考えだ。肉眼的血尿は膀胱がんの症状なのだが、その他に症状らしいものがない事が多い。

母は神経症病みなので、膀胱がんなどとは口が裂けても告げられない。死にたいと連呼する日常だが、癌だと告げると、さらに神経症状が悪くなることは火を見るよりも明らかなのだ。要は、「生き欲」が非常に強い人なのだ。両大腿骨、座骨を次々に骨折してもリハビリに精を出し治す人であり、食欲が旺盛な人なのだ。身体的強靭さは心気症のベースでもあるのか。ここら辺の脳の機序がよく分からん。

ゴールデンハニードワーフグラミーが4匹になった

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※黄色いのがGHDです。左がメス、右がオスです、多分。

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※この方は先住のおじさんです。

ゴールデンハニードワーフグラミー(通称GHD)を家人が買ってきた。先住のGHDはオスで繁殖相手がいなくても始終発情色を呈していたので、ま、そろそろ連れ合いを連れて来たというのが家人の購入動機。先住のオス(おじさん)より一回り大きいメス2匹、そして「おじさん」と似たような体形のオス1匹、合計4匹のGHDが水槽に合流したのは4/12の事。それから40日経過して、4匹は堂々と水槽に住みだした。「おじさん」1匹の時は、いっつも洞窟オーナメントに隠れていて臆病そのものだったのだが、今は4匹とも水槽の全面に出てプラティの幼魚らと餌を取り合っている。通常、GHDはやはり臆病な方で、せせこましいプラティと同居すると餌が食い付けず中には餓死する者もいるとか。GHDは熱帯魚界では頭脳が良く綺麗という優等生なのだが、いかんせん愚図だ。

「おじさん」と同様、オスはやはり奥手で土管に隠れてひょっこり顔を出すのが関の山だったが、何せメス2匹が強かった。彼女らは最初っからプラティらと乱舞していたのだ。ちなみに、彼らの名前は「おじさん」と「おっさん」、メスはまとめて「おばさん」である。

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特養の面会から逃げた。5/14の事

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プラティの親魚、アザレンカが亡くなってから1週間が経った。かなりの悲壮感が残るだろうと覚悟していたが、案外しょげることもなくこの成り行きにどこかで納得している。5/14、この日は亡父の命日であったが、特養の面会の日でもあった。暗い気持ちを持ちながら帰宅してアザレンカの遺体に対峙し、当座、母の私への「憎悪」は心の奥に一時収納した。

5/7の面会時には安定していた精神状態が、この日は頗る荒立っていた。認知症の健忘は全てを覆いつくすものではないというが、私への対応は継続的に、いや短絡的継続の様子を呈している。「また、あんたは私を騙す。こんな酷い所から早く連れ出せ。死んでやる」を連呼していた。母の目は憎悪に満ちていた。私は早々に退散した。帰り道、こんな日もあるんだと自分を慰めた。マラソン道に佇んで、荒川土手の強い風に揺れる紫ツメクサを見つめていた。こちらもあちらと同じように感情が揺れてはいけない。土手沿いの花のように全てを受け入れて雨風に身を委ねなくてはいけない。歩を止めても、心は船酔いのように震えている。そして帰宅後、アザレンカの遺体を見てしまったのだ。

今日5/21には面会に行こうと決めていたが、勇気がなくて実弟に依頼してしまった。母の為に買った室内履きは包装紙に包まったまま、部屋の隅に置いた。仕事もしていない暇な私が、とうとう本当に逃げてしまった。母の「あんたは、いつも逃げる」というセリフ通り。紫ツメクサの強かさが、レッドプラティの産褥死が、そんな馬鹿な私に一層鮮烈に映った。紫、赤、深い暖色の渦が、あれから数日間は心の裏で静かに渦巻いていた。

外の和金、ちょっと大きくなったような

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拡大してみると、ほぼオス。オスの徴である追星(白い点々)が出ている。この5匹には、しかしメスは確実にいるのだが、恐らく1匹じゃなかろうか。屋内水槽でさんざっぱら産卵した組にメスが1匹いて、もう一方の水槽は産卵がなかったからだ。22-25cm位だろう。彼らの子が屋内に2匹いるのだが、まだ10㎝に満たないキョウダイだ。秋には合流させるかも。

プラティ、アザレンカが逝く

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※石の混じった糞を出してから一気に体調を崩した。

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※子供たちに囲まれて…

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5/6に脱腸(脱肛)らしき出来物ができ隔離し、その後息子に患部を突かれサテライトに再隔離していたのだが、本日5/14、★になってしまった。今日は恐らく5回目の出産予定日だったので、サテライトへの隔離は規定コースだったのだが、いつもと違って暴れることなく静かに産室に佇んでいた。餌は殆ど食べなかった。今夜は出産かと思いながら私は母のいる特養に朝から出掛けていて、午後2時に帰宅後、その遺体を確認した。

以前から逆立ちになることが多かったが、その遺体も突き刺さるように逆立ちしていた。遺体に触ると硬い。ややもすると生き返るような鮮やかな発色。きっとさっき亡くなったのだろう。私の手の届かない時間の中で、アザレンカはこの世に別れを告げたのだ。立派な死に様だった。今日は、朝気付いたことだが、私の父の命日だった。偶然とは思えない。

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※大往生というべきか。1年位では早死にだよ。

 

アザレンカは生涯忘れられない魚となった。

過去の記事を書いたのは3/31の事。それから1カ月半後に旅立った。

aronwan77.hatenablog.com

今は何も考えられない。さよなら、アザレンカ。

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※体長6㎝。2015/10/11、浅草のショップで購入した時は3㎝だった。

プラティ、アザレンカのその後

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※サテライトで隔離中のジョコビッチ。見守る母のアザレンカ。

昨日は「もう駄目かもしれない」と落ち込んでいたのだが、実はあの後、アザレンカの息子(最初の子で1人っ子)ジョコビッチがひと騒動を起こした。もともとジョコは気性が荒いというか、キョウダイや母親の肛門を突き糞を食べる癖があった。脱肛?を抱えたままアザレンカは5日間の絶食後、本水槽に戻していた。最期は自宅(本水槽)で過ごさせたくて戻したのだ。脱肛をメスで切る勇気も知恵もない私は、弱気でいた。そんな時、暴れん坊のジョコがアザレンカの肛門に突入。な、なんと赤く腫れた部分を齧り取ってしまった。アザレンカの肛門は血が滲じみ暫く底の方で蹲っていたが、ややあってスクスク泳ぎ出した。餌も突きだした。災い転じて福となす。ジョコが母の脱肛を治したのだ。そして今日、アザレンカはツンと澄まして水槽のリーダーの姿を取り戻していた。しかしだ、ジョコの暴れ方が過ぎるので、サテライトに隔離した。そろそろアザレンカが使う予定の産室は、今は長男の説教部屋となっている。

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女友再会。そしてプラティ、アザレンカの変調

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 十数年ぶりに女友達と会った。それぞれ相応に歳を取って、それぞれの悩みを喋ってあっという間に4時間過ぎた。本当に昔と何にも変わらない。変わらないというのは良い事なのか悪い事なのか分からないが、人間の素地というものは経年劣化しないということだ。ただ表面的なもの(皮膚とか身体つき)は当然変わっているので、やはり妙な感覚に陥る。ひょっとして80歳になっても、私の性質はこんなもんなのかと。

帰り際、雨が降り出してきた。地元に着いた頃にはすっかり濡れ鼠。誰も歩いていない長い連休明けの、月曜日の東京スカイツリーソラマチ界隈を久しぶりに歩く。こういう時期の雨の日のソラマチも、まあいいもんだ。多分旧友と会った嬉しさから心が晴れていたからだろう。雨の街の運河に佇むと、ここは押上ではなく羽田空港に思えてくる。雨の日の空港は、なぜかグッとくる詩情があるのだ。

帰宅するとイの一番に覗く込んだ水槽。プラティ稚魚水槽が暗く淀んでいる。稚魚が8匹★になっていた。私の居ない時にこんなにも多く亡くなってしまったんだね。水替えを怠ったのか、餌変えが悪かったのか、後悔は尽きない。早速、60㎝水槽に残った稚魚全てを移住させる。水が足りない、砂利もない、水草も少ししかない。などと文句をこねていたら、この水槽に4日前から隔離していたアザレンカの様子もおかしい。肛門あたりが赤く腫れている。これは産仔かと思ったが、どうも違う。いわゆる脱腸か、それとも胎児が詰まっている? 何時間経っても改善しない。これはもう駄目かもしれないと目を閉じた。あとはアザレンカの明朝を願うばかりだ。もし早めの出産に難産しているのなら、それはそれで心配だ。これまで200匹以上を産んできた老女。今回の出産は死を賭しての戦いかもしれない。私はアザレンカのいる部屋のドアをそっと閉めた。

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祝!和金兄弟の誕生1周年

和金の一郎、二郎兄弟の誕生1周年!と言ってもオスかどうかは不明だが、この子らは昨年の5/9に自宅で卵から孵った最初の和金だ。最初の子引きということで、まあ神経を使った。水槽内でツンツン跳ねている子をスポイトで掬ったのである。十数匹捕獲したが、訳も分からず自己流で、小さなガラスボールに入れて様子をみた。3日後から1日5回ほどベビーフードを与え、ボールのゴミを吸引する毎日。1週間位で半分に減った。2週間もするとたったの2匹しか残らなかった。その後、次に産まれた子らと同居させたりしたが、最初の彼ら以外は死亡率がぐっと減り、60㎝水槽は保育園状態となった。家で産まれ(産湯は金町上水の水)、沢山のキョウダイたちとワイワイしながら育った稚魚は、直ぐに懐いたもんだ。40数匹の稚魚は餌の時間以外にも、私が近づくと一斉にラインダンス、餌クレダンスをする。

その後、里子に出したが、一郎・二郎だけは手元に残した。里親さんは「こんなに懐く稚魚は珍しい。きっと幸せだったんだよね」と涙ちょちょ切れる別れの言葉を残し、大勢の稚魚を連れ去った。子らの歌声の賑わいがもう聞こえない。キャッキャと騒ぎ群れる歓声も聞こえない。そんな空虚な気持ちの中で一郎・二郎は私の心の支えになったものさ。水面に指を入れれば吸い付いてくる。餌の時は飛び跳ねる。和金の子は元気があって、やはり可愛い。写真は彼らの成長グラフィティだ。

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※そもそもが、一郎・二郎の親達がこいつらです。よーく見ると左の2匹に繁殖期の雄の印である追星(白い点々)が見える。ということは右端の一番大きな子が御母堂様だね。御親族はベランダの舟で更に大きくなってご健在だ。

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※卵から孵化して1週間位かな。

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※20㎜位あんのかな。魚体形になるのは3週間も経たないとね。

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※いっちょまえだけど、これから退色が始まる。

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※一郎・二郎を隔離して小さな水槽で育てた時期。枕元に置いていたっけ。

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※混泳させた。上の方で泳いでいるのが兄弟。トラ禿という黒身があるのが一郎。二郎の方が今でも若干大きいし退色も早かった。

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※左端の和金が一郎・二郎。兄弟なんだから、まあよく似ているよ。因みに真ん中が黒松で、右端がタンスケ(2016/5/5現在)

具無しカレーとご飯大盛

いかに私がご飯が好きで大食いだということは、以前書いた。この連休、家人がどでんと居座っているので炊飯が出来ない。家人はご飯が嫌いなほうである。毎日、麺類とかピザとかで腹が出来るが、ご飯レスなのでイマイチ居座りが悪い。今日は炊飯しようと思うが、明日は土曜日。なので炊けない。二人家族なので、一人だけご飯を食べるのはバランスが悪いからだ。

そういえば、昨日の昼は近所のカレー店に行った。偏食の極みの私は、どのカレーもまともに完食できない。なので一番安いチキンカレーを頼む。チキン肉が3切れルーに浮かんでいるのだが、いつも家人が食べてくれる。このカレー店のカレーには肉以外に具が見えない。ご飯は2杯位あって、そこに具無しのカレールーだけをかける。キャベツをしこたま食べて、ラッキョと福神漬というオールドスターが副菜。なんとシンプルなカレーだろう。ということで、ご飯をしこたま食べれてラッキーだとは思うが、何か物足りない。そういえば、味噌汁かけご飯やお茶漬け(糠漬けか昆布漬物)が好物な私だから、こんなもんだろう。そして、いつも何か物足りないんだよね。栄養源は、夜食の明太子くらいかな。明太子はビタミン豊富でカロリーが低いが、如何せん塩分が強い。塩を肴にビールを飲むのもやはり、何か物足りない。どんなものが私を満たしてくれるのかな。かなり年齢を重ねてきているが、いまだに見出せないんだよね。